■トレモロといって、すぐにアルハンブラの思い出を頭に浮かべる人はかなりギター好きな人である。
■p、i、m、aの4本の指をp、a、m、i、の順で心地よくpで低音弦をa、m、i、で高音弦を弾く奏法である。
■ちなみにpは親指、aは薬指mは中指、iは人差し指である。通常右手で演奏される。
■極めて単純な奏法であるが、これがなかなか難しい。
■一つひとつの音の大きさのバランスとテンポがなかなかそろわないのである。
■他人の指ならともかく、自分の指が自分の思うように動かないこのむなしさは、必ずしも努力によって解消されるものでもない。
■もちろん、ある程度のところには到達するが、そこにたどり着くと、また欲望が膨らむ。
■そうこうしているうちに、四十数年たったが、未だ不満足である。
■これからも鍛錬あるのみであろう。
■いつかアルハンブラの思い出を堪能したい。
■1mcc.com
2007年5月26日土曜日
■かいな の語源
■かいなとは腕のことである。
■語源を調べてみる。
人体名称の語源を参考にさせていただいた。
http://homepage3.nifty.com/rosetta_stone/wissenshaft/AN_2/AN_JP_44_53.htm
■オーストロネシア語に基づくと
■かい------------「抱える」「挟み込む」
■な(ね)----------「根」「元(器官)」
■すなわち 「抱える」「挟み込む」+「元(器官)」 = かいな
となったと推測されている。
■大相撲には取り組みのなかに腕(かいな)返しとして立派に『かいな』が使われている。
■日本語の奥深しさと他文化とのつながりを感じる。
■テスリックス
■語源を調べてみる。
人体名称の語源を参考にさせていただいた。
http://homepage3.nifty.com/rosetta_stone/wissenshaft/AN_2/AN_JP_44_53.htm
■オーストロネシア語に基づくと
■かい------------「抱える」「挟み込む」
■な(ね)----------「根」「元(器官)」
■すなわち 「抱える」「挟み込む」+「元(器官)」 = かいな
となったと推測されている。
■大相撲には取り組みのなかに腕(かいな)返しとして立派に『かいな』が使われている。
■日本語の奥深しさと他文化とのつながりを感じる。
■テスリックス
2007年5月24日木曜日
■神話
■神話とは少なくとも2,3千年かかって今日に伝えられるものである。
■ところが、ユニバーサルデザインの世界には理解に苦しむ神話がある。
■たとえばL型手すりにまつわるものである。
■全てを排除し、トイレでもバスルームでも玄関でもL型手すりを、どこの位置に付けるかがテーマであって、L型手すりの存在を否定しようものなら、仲間はずれにされる。
■多くの研究者もL型手すりの存在が否定されると、自分自身の研究生活に支障をきたすのであろう。
■ところが、L型手すりそのものの歴史は50年もない、地球上で言えば日本におけるつい最近の出来事である。
■真の神話にはさまざまな由来と含蓄があり、恐れ多くて近寄りがたい。
■一方このL型手すりの神話には大きなメスを入れたいと思うがいかがであろうか。
■テスリックス
■ところが、ユニバーサルデザインの世界には理解に苦しむ神話がある。
■たとえばL型手すりにまつわるものである。
■全てを排除し、トイレでもバスルームでも玄関でもL型手すりを、どこの位置に付けるかがテーマであって、L型手すりの存在を否定しようものなら、仲間はずれにされる。
■多くの研究者もL型手すりの存在が否定されると、自分自身の研究生活に支障をきたすのであろう。
■ところが、L型手すりそのものの歴史は50年もない、地球上で言えば日本におけるつい最近の出来事である。
■真の神話にはさまざまな由来と含蓄があり、恐れ多くて近寄りがたい。
■一方このL型手すりの神話には大きなメスを入れたいと思うがいかがであろうか。
■テスリックス
2007年5月23日水曜日
■どこもが手すり
■どこでも使える電話と言う意味があるのだろうか、携帯のドコモ誕生は革命的であった。
■かつて、ドコモ誕生前、ある地方都市で地域で一番最初の携帯電話を使った。
■当時、確かにどこでも使える携帯電話えはあったがは大変重たくて、弁当箱のようであった。
■まさに手にずっしりと重くのしかかるような感触であった。
■話を手すりに向けるが、今でもずっしりとした感覚の手すりにL型手すりがある。携帯で言えばドコモではなく昔の携帯電話である。
■手すりに関しても、今や、どこでも手すりの時代であり、これをどこもが手すりと呼ぶようにしている。
■こうなれば利便性、すなわち便利さは言うまでもない。
■身長が190cmの人と145cmの人が同じL型手すりを使うのはどう考えても無理である。
■どこもが手すりにすれば解決する。
■どこもが手すり
■かつて、ドコモ誕生前、ある地方都市で地域で一番最初の携帯電話を使った。
■当時、確かにどこでも使える携帯電話えはあったがは大変重たくて、弁当箱のようであった。
■まさに手にずっしりと重くのしかかるような感触であった。
■話を手すりに向けるが、今でもずっしりとした感覚の手すりにL型手すりがある。携帯で言えばドコモではなく昔の携帯電話である。
■手すりに関しても、今や、どこでも手すりの時代であり、これをどこもが手すりと呼ぶようにしている。
■こうなれば利便性、すなわち便利さは言うまでもない。
■身長が190cmの人と145cmの人が同じL型手すりを使うのはどう考えても無理である。
■どこもが手すりにすれば解決する。
■どこもが手すり
■右手と左手
■右手と左手が自由自在に動く人はうらやましい。
■昔、ピアノを弾く人を見て、どうしてあのように左右が自由自在に動くのだろうと不思議であった。
■特にバッハの曲のように主旋律が右手に行ったり、左手に行ったりする複雑な曲を知れば知るほど、ピアニストは凄いと思っていた。
■実際に右手と左手の動きを見ていると、日常では同じ様に動いているほうが少なく、ほとんど左右は別々に動いている。
■しかし、多くの場合左右の動きには相互に関連したものがあり左右の動きに意味がある。
■したがって左右意味のない動きをするときのみ人間は戸惑いを感じるものと推察される。
■となれば、ピアノの左右の動きの意味づけがしっかり出来れば、双方たやすく動くはずである。
■以上は、46歳から鍵盤楽器に挑戦し、10年以上たったある男の偽らざる体験談である。
■手と手
■昔、ピアノを弾く人を見て、どうしてあのように左右が自由自在に動くのだろうと不思議であった。
■特にバッハの曲のように主旋律が右手に行ったり、左手に行ったりする複雑な曲を知れば知るほど、ピアニストは凄いと思っていた。
■実際に右手と左手の動きを見ていると、日常では同じ様に動いているほうが少なく、ほとんど左右は別々に動いている。
■しかし、多くの場合左右の動きには相互に関連したものがあり左右の動きに意味がある。
■したがって左右意味のない動きをするときのみ人間は戸惑いを感じるものと推察される。
■となれば、ピアノの左右の動きの意味づけがしっかり出来れば、双方たやすく動くはずである。
■以上は、46歳から鍵盤楽器に挑戦し、10年以上たったある男の偽らざる体験談である。
■手と手
2007年5月22日火曜日
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